聖書の読み方ー再考

聖書は旧・新約聖書とも、長い年月を経て神の霊によって導かれた人々によって書かれました。この意味で聖書の著者は神ご自身といえると思います。ですから聖書は神が、イスラエルの人々、クリスチャンだけでなく、全人類に語られていることばです。

この聖書を少し見方を変えて、神のみこころを理解するため、人間の役割を理解するための「道具」と考えたらどうでしょうか。英語でいえば”a tool”です。もし道具という表現に違和感を感じるのであれば、手段はどうでしょうか。いずれにせよ、この聖書を通してわたしたちは神を知ることもできますし、自分の立ち位置を知ることができるのです。

しかし、聖書を道具と考えると、これをその仕様書どおりに使わうべきです。悪用して間違った目的、自分勝手の解釈で聖書を使う人もいるかもしれません。

わたしたちは、それぞれ聖書を読む権利が与えられていますが、それを自分勝手の思い込みで解釈する権利は与えられていません。むしろ、聖書に示されている神の御心から「右にも左にも逸れてはならない」と教えられています。また「書き加えても削除してもならない」とも命令されています。

マジメなクリスチャンも例外ではありません。どんなにマジメかは問題ではないのです。ご承知のとおり、宗教の世界ではおおマジメで間違うこともあるのです。

聖書を神の御心通りに理解すること、そしてその教えに従って生きていくこと、これはクリスチャンが負っている命題だとわたしは思います。育った環境やメンバーになっている教会によって、あるいはその牧師先生によって、多少なりとも解釈が違ってきてしまいます。(教派の間では、非常に重要な聖句においても、180度、真逆の解釈もありうるのです。これは本当です。)

わたしは、だからこそ一人一人のクリスチャンが自分の信仰、自分の解釈に責任を持つことが大切だと思うのです。最後の裁きの時に、「わたしは~先生が言っていたのでその通りやってきました」という言い訳は通じないかもしれません。自分の信仰は自分自身で吟味すべきでしょう。そしてキリストに直接教えていただけるように祈るべきでしょう。

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