劣等感からの脱出

劣等感、私はダメ人間?ですでに劣等感について書きました。この記事を読んだ方に今回は具体的に脱出の方法を紹介します。

本当に多くの方々が劣等感に悩まされているのに驚かされます。普段の言動からは人の内面は見えません。「えっ?この人が?」という例が少なくはないのです。

「肯定的な考えが肯定的な結果を生む」とよく言われます。また「そのような人に幸運がくる」とも・・・これは真っ赤な大嘘です。肯定的に物事を捉えるべきだとわたしも思いますが、だからと言ってすべてうまくいくなどという約束はまやかしです。ここでは3つのステップを紹介します。

喜びに満たされた人生を送りたいという自分の希望を認識すること

最初に「自分の心の叫び」ともいえる希望を認識してみましょう。単純にいえば、幸せになりたい、喜びに満たされた人生を送りたいというような感情です。自分の内面を見て心の渇望を知りましょう。なぜこれが大事かというと、人生に対して前向きな態度、心の持ち方を植え付けるからです。

しかし、これだけでは劣等感は取り除かれません。なぜでしょうか。劣等感は自己否定の独り言によって助長されるからです。この時点では独り言は止まりません。

自分の劣等感を認識して次に開き直ります

次のステップとして、自分の劣等感を認識することです。劣等感がある人は、どこかで現実逃避しようとしますし、このような自己否定の感情もないかのように打ち消そうとします。逆転の発想でその真逆を実践します。「劣等感を持っているけど、恥ずかしい事ではないと。むしろ自分はきちんとそのような感情に向き合って対処しようとしている。素晴らしい!」と自分を褒めることもできるでしょう。

この時点で、自己否定の独り言も徐々に止めるようにしましょう。

劣等感という重荷をイエス・キリストに委ねてあずけてみましょう

最後の仕上げは、劣等感という心の重荷をキリストにあずけることです。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ11章28節ー30節)

キリストに行く時は、たとえ信じていなくても大丈夫です。そのような自分をキリストにさらけ出してください。たとえば、次のように祈ってみてください。「イエス・キリスト、私はあなたを信じていません。でもあなたの下に行って、自分の重荷を告白します。どうか、私の心の重荷である劣等感を取り去ってください。私に平安を与え心に安らぎを与えてください。私は、人生についてあなたから学びたいです。どうか私に教えてください」と祈ってみましょう。

このような祈りを日々続けてみましょう。必ず、あなたの心に変化が現れます。キリストはあなたの祈りを聞いてくださっていますから、大丈夫です。

この3つのステップを継続的に実践する

劣等感はほっておくと、雑草が生えるように知らぬうちにまた芽生えてきます。雑草を根っこから抜いても、また生えてくるのと同じです。劣等感はこれと本当に似ているのです。私もそのように劣等感をもっていた人間だから、劣等感には悪いサイクルがあるという事実を知っています。だから継続的にこの3つのステップを実践しましょう。長く実践していると、劣等感のような負の感情は消えてなくなっていきます。むしろキリストが与える平安で心が満たされるでしょう。

読者の皆様を心から応援しております。皆様の上にキリストの平安が与えられますように。

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