人生の真理を知りすべてが変わる

真理と一口でいってもいろいろあります。人間の存在意義を問いかける哲学的真理、医学的真理、科学的真理、この大宇宙を動かしている真理、自然世界の真理などです。人間は古今東西、文化や時代を問わず、様々な分野でこれらの真理を追い続けています。しかし、この真理探究はどこまで行っても終わりはありません。何か新しいものを発見したとしても、そこからまた新たな謎がわいてきます。技術革新がどれほど進んでも、この真理探究の道には終わりがないようです。稀代の哲学者たち、科学者たちが一生かけても見つけることが出来なかった究極的な真理、そこには人間の頭脳を超えたものがあることを物語っているのではないでしょうか。

科学者たちは科学的真理探究に没頭します。しかし、科学的真理が見つかったとしても、わたしたち人間の宇宙や自然との関わり方に、どのような解決策をもたらすのでしょうか。むしろ、なぞは深まるばかりです。特に、大宇宙、自然の中での人間の存在意義や人生の目的や意味を考えると、出口のない迷路のようなものですから疲れるばかりです。だから、人は、そのような事を考えるのは止めようと思うのでしょう。

イエス・キリストは次のように言っています。

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネの福音書14章6節)

イエス・キリストがいう「道、真理、命」は、まさに人間が生きる上で求めるものではないでしょうか。それは生きる道であり、様々な真理であり、命の意味です。何のために生きているのか、存在しているのか、と私たちはふと考えることがあります。結局、答えが見つからないので止めてしまいますが、、、、。しかし、答えはキリストにあると私は思います。

またイエス・キリストは次のように言っています。

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネの福音書8章31節ー32節)

ここでキリストが言っている真理とは何でしょうか。この記事の冒頭で述べた科学的な具体的な数式や規則を指しているのではありません。哲学的な真理でもありません。むしろそれらすべてを超越している真理、言葉では説明できない真理をキリストの教えにとどまるならば、心で知ることが出来ると教えています。ここで注意すべき点はその順番です。

キリストの教えに従う > 弟子になる > 真理を知る > 自由になる

携帯電話を例に説明します。

携帯電話のマニュアルを端から端まで読んだけど、一度も携帯を使ったことがないとします。その携帯のハードからソフトからすべてを知っているとします。でも実際には使ったことがないとします。これで携帯電話の便利さがわかるでしょうか。一度も手に触ったことがないのに、自由に使えるでしょうか。

実は、キリストの教えも同じです。キリストの教えを読むだけで実践しないでは、その良さはわかりません。使って初めて「あ~そうか!」と真理を心で知ることが出来るのです。これは頭だけで理解する知識とは違います。そして、この様な人は、真理探究の人生の重荷から自由になれるのです。

今まで何となく「人生って何だろう?」と疑問におもっていたことが、徐々に答えられていくのです。非常に不思議なことですが、これは真実です。

人生はキリストによって変えられる

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