人生の重荷が取り除かれる

「人生山あり谷あり」と言われます。だから人生はおもしろいとも。しかし、実際に重荷を背負っている人、思い悩んでいる人、人生に疲れている人にとっては、そのような言葉は励ましにはならないでしょう。この人間社会では心が疲れてしまうことがどれほど多い事でしょうか。凶悪犯罪や悲惨な事件、事故を聞くたびに心が暗くなってくることはないでしょうか。それプラス、自分が抱え込んでいる問題からくるプレッシャーだったり、心が疲れてしまうことばかりです。

身体だけが疲れているのであれば、しっかり睡眠をとったり栄養ドリンクを飲めば回復するでしょう。心の疲れは睡眠だけではとれないことがあります。心の状態は見かけだけではわかりません。普通に暮らしている人の中にも、心療内科にかかっている人が意外に多いのに気づかされます。心療内科の専門医が多いのもそのせいでしょう。

キリストの招き

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11・28-30)

人間は生きていくうえで疲れてしまう、重荷を負ってしまうことを、キリストは知っておられこのような言葉をわたしたちに言っているのです。キリストは完璧を要求する厳しい方ではありません。心優しくわたしたちに接してくださり、行くべき道を示してくださいます。

大切なポイントは、キリストの軛(くびき)を負い、キリストと共にこの人生を歩むことです。そして、生き方についてキリストから学ぶのです。そうすれば、心に安らぎが宿り平安が与えられるのです。

キリストの軛(くびき)は負いやすく荷は軽い

 軛(くびき)とは、牛に首にかける農作業に使うものです。1世紀の当時の人たちにはわかりやすい例えだったでしょう。キリストが与える軛は、すべての人間に合うように造られています。そして、その荷は軽いのです。わたしたちが人生で抱える重荷とは違います。キリストご自身が、わたしたちの重荷を負ってくださり、その代わりにわたしたちはキリストの荷を負うのです。

かといって、働くなくてもいいという意味ではありません。見た目には生活に変化はないでしょう。しかし、心に変化が起きます。心に平安が宿るようになります。安らぎ訪れます。不思議なことですが、真実です。

わたしたちがキリストの軛を負いキリストから学ぶ時に、天にいらっしゃるキリストがわたしたちの生活で実際に働いてくださるのです。不思議なことですが、本当です。

人生はキリストによって変えられる

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