哲学が求める人生の目的

自分が知っている範囲で、人間の哲学が求める「人生の意味、人生の目的」をまとめてみました。これらの哲学を比較して人生の目的とは何かを考えてみます。また聖書が教える人生の目的と比較します。

プラトン

人生の意味は、知識というかたちで最高のものを得るところにある。その知識とは自分より大きな力として善と良識として宿るようになる。ここからすべての良い行い、価値観が生まれていくる。人は、善を追い求めてなければならないが、哲学なしにはこれを実践することは不可能である。

アリストテレス

人生の意味は、幸福を成就するところにある。

ストア哲学

善は魂そのものに存在していている。特にその善は知恵と自制心によって象徴される。人生の意味は、正しい客観的判断によって苦しみから解放されることにある。徳を高めることも人生の目的の一つとして考えられる。人は、怒り、嫉妬心といった邪悪な考えから解放されるべきである。

プラグマティズム

人生における真理を追い求めるよりも、人生において役に立つ事柄を追い続けるべきである。真理は造られるが、追い求めるものではないと主張する。人生の意味は、その経験を通して学んだ人生の目的と真偽しない。人生の目的、意味は経験を通して発見される。

ヒューマニズム(人間中心主義)

人間の目的は、人間自身によって決められる。人の人格そのものが人の人生の目的である。人は、人格を発達させ成熟させることによって人生の目的を全うする。人間の能力と責任感が倫理的、道徳的な生活に導き、それは全人類にとって良いことでもある。

道教

道教では真理を教えることはなく、各人が道を学び得ることを目的とする。自分の中にしか人生の目的を見つけることは出来ない。

儒教

あまり良く知りません。

 

結論

古今東西、文化を問わず、人間は常に人生の目的、生きる意味、なぜ自分がこの地上に存在しているのかを自問自答してきました。その中の代表的な考えを列挙しました。現在もこの自問自答は続いているのではないでしょうか。(ちなみにダーウィンは生物学的観点からこの疑問に答えようとしたのです。)しかし、それぞれの哲学的考えが示すように、人間は自分の知恵や修行か何かでは人生の目的、生きる意味は見つけられないのです。

なぜでしょうか。私たちのデザイナーである創造主なる神から離れて、人生の目的など見つけられないのです。人間が造るものでも同じことが言えます。包丁は人を傷つけるために造られたのではないのです。野球のバットは人を傷つけるために造られたのではないのです。間違った目的のために使われた場合、必ず良くないことが起きます。人間も同じではないでしょうか。

五木寛之氏は、「人生の目的」はおそらく見つけられないだろうと書いています。彼によると、「人生の目的」とは人生の目的をみつけることであると書いています。堂々巡りの論理に私には聞こえます。

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