神の裁きがまだ来ない理由

神の裁きは必ず来ると聖書は預言しています。人類の歴史は、紀元前から愚かな行いの繰り返しです。科学の発達によって多くの便利な物が造られて、生活のあらゆる分野で利便性が向上しましたが、人間の愚かさだけは変わらないです。犯罪は増加する一方です。国と国の争い、戦争に終わりはありません。いつもどこかで幼い子供たちが犠牲になっています。2018年3月10日に私はアメリカにいました。レストランに行くと200キロ以上の体重の人たちが、お皿を山盛りにして食べています。それでも半分くらいは食べ残すのです。一方でアフリカ諸国では少量難民の人たちが飢えであえいでいます。

このような愚かな世の中で生きている私たちに向かって、神は「神を信じイエス・キリストを信じなさい」と諭しています。しかし、なぜ神の裁きはまだ来ないのでしょうか。1世紀の初代教会も同じように考えていたようです。

まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、 こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。 しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。 神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。(2ペテロ3章3節ー13節)

まだ神の裁きが来ない理由は上記の聖句が明らかにしています。一人でも多くの人たちが神の愛に気づき悔い改め救われるように、神は裁きの時期を遅らせているのです。神の救いに預かるのに遅すぎることはありません。しかし、神の裁きが下された時にはもう手遅れです。ひとたび、神の裁きが下された時にはもう待ったなしです。私たちすべての人間は、神の御前に立ち神の裁きを受けることになります。悔い改めている人には、この裁きは朗報です。良い知らせです。しかし、悔い改めずに自分勝手に生きてきた人には悪いニュースです。

科学的な観点からいえば太陽が永遠に燃え続ける事はありえません。太陽の輝くがなくなるとき、エネルギーが燃え尽きる時がいずれ来ると言われています。同時に聖書的に考えれば、天地万物のすべてに終わりがあるのです。その時がいつ来るのかはわかりません。明日、来週、来年かもしれません。キリストの再臨と神の裁きの時期を予想する人がいますが、愚かな行為です。キリスト自身が、父なる神以外は誰も知らないと言っているからです。

創造主なる神が誰も滅びることを望んでいません。むしろ神はすべての人を交わりを持ちたいのです。信頼関係を持ちたいのです。ところが人間の方が神の招きを拒否しています。今一度キリストの教えに耳を傾けてみください。

読者の皆様の上に神の憐れみと愛が注がれますように、心よりお祈り申し上げます。

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