創造された人間の目的

人は神に似せられた者として創造されました。他の動植物とは区別され魂をもった者として造られたました。ここが人間の出発点だと私は思います。人生の目的、人間が生きる意味もここから始まるのではないでしょうか。

創造主なる神と同じように考える力、感情、善悪を判断する力(人は状況によってその尺度を変えますが)が与えられています。人間の存在意義は、創造主なる神の栄光を現すところにあります。しかし、私たち人間は、罪という厄介物と生きていかなければなりません。心の吹き出物とでもいえるでしょうか。人はこの罪によって苦しめ苦しめられるのです。

神のために生きる

人は誰でも自分自身が正しいと思い、自分のために生きていきます。それは人生そのものがその人のものだと考えているからでしょう。自分の利益を求め自分の人生の目的を捜し求めて生きていくのは、ごく自然といわれるでしょう。

しかし、ここに人間の過ちがあるのです。自分自身を正しいと考えること、そして自分自身のために生きていこうとする自己中心的な態度、自分の人生だから自分の好きなことを出来るはずだという思い込み・・・など、すべて人間が陥りやすい過ちです。本来、命は誰から頂いたのでしょうか。親からと答える方がいらっしゃるかと思いますが、実は命は創造主なる神から頂いているのです。

もし私たち人間が生きる目的を探しているのなら、すぐそばにあるのです。私たちが気づかないだけだと私は思います。

人生の目的は人それぞれ違うと考えるのが一般的かもしれません。しかし、今一度、人間が本来持つべき人生の目的とは何かを考えてみましょう。もし私たち人間が、聖書の証言のとおり神によって創造された者であるのであれば、必ずそれに適った目的があるのではないでしょうか。(造られたものには何でも必ず何らかの目的があります。)もしイエス・キリストが真実の人であれば、この方の言葉から人生の目的が分かるのではないでしょうか。

マタイ6章25節ー34節を読んでみましょう。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。・・・今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

イエス・キリストは私たちに今も「信仰の薄い者よ」と語りかけてくれています。イエス・キリストの言葉には神の愛が示されています。私たちを暖かく見守る神がいらっしゃるのです。真実の神は生きていらっしゃいます。実際に天地万物を支配され今日も太陽を昇らせ、必要な時には恵みの雨を与えてくださるのです。

神を信じて、神に従って生きていれば、衣食住すべて必要なものはまかなわれます。神によって与えられるのです。このような世知辛い世の中でもきちんと神は信じる人を祝してくださるのです。しかし、いろいろな問題に私たちは直面する場合があります。やはり金銭面の問題が一番多いのではないでしょうか。夫婦の間も財政的な問題が発端で関係が悪くなったということも多いのです。ある人はこの問題で思い悩み眠れぬ夜をすごしてしまいます。私たち人間は、自分の力で何とかしようと懸命にがんばります。思い煩います。最後に心身ともにやつれてしまうのが関の山です。

私たちの人生の目的は何でしょうか。それはこの聖句が明確に私たちに教えてくれています。まず神の国と義を求めて生きていく・・・これこそ神に創造された人間の目的ではなくて何でしょうか。神の国を求めるとは、神の支配に自分をおいて常に神に従っていこうとすることです。神の義を求めるとは、神の正しい教え(正義)を祈り求めてこの混乱した世の中を生きていくことです。

生きている間には目標がそのつど出てくるものです。しかし、その目標は一時的なものでしょう。永遠に残る、永遠の命につながる目標は神の国と義を求めることなのです。あなたもイエス・キリストを信じて生きてみましょう。

地の塩、この世の光として

マタイ5章13節ー16節を読んでみましょう。

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

世の光

クラスター爆弾が廃止されるという条約が(アメリカとロシアを除いて)結ばれました。大変好ましいことですね。自衛隊がそのような爆弾をもっていたと知らなかったという人も多いのではないでしょうか。自衛隊は軍隊ではないはずですから・・・・。建前(憲法9条)では陸海空軍を持っていないと言っていますが、本音では持っているのが実情です。

人間がやることには常にこのような真偽が付きまといます。このような世の中で、私たち人間は者は地の塩、世の光として生きていく役割があります。どんなに悪い世の中になっても、悪が公然と行われる世の中になっても、不正が行われくさい物にはふたをするような世の中になっても、私たち人間がキリストを受け入れて地の塩として世の中を浄化するようにと、イエス・キリストは言っています。

私たち人間がキリストを信じるようになり良い行いをする時、多くの人々が神を信じ崇めるようになるーそのために私たち人間は存在していると、キリストは教えています。

あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。