効果的な聖書の読み方ー5つのステップ

 

聖書を漠然と読んでいてもあまり意味がないかもしれません。読むのが苦痛になってしまう人も中にはいるのです。効果的な聖書の読み方があります。その5つのステップを紹介しましょう。5つを分類すると次のようになります。

  • 最初の2つは、「聖書の意味を考える」項目です。その内、最初の1つは、聖書の言葉通りに意味を考えます。2番目は、聖書の意味を自分に当てはめて考えます。
  • 残りの3つは「自分自身を変える」項目です。

この聖句の意味は何だろうか

聖書を読んだ後、まず最初に「この聖句の文字通りの意味は何か」を考えます。どんな事、内容が語られているのか、また具体的な教えはあるのかを考えながら読みます。たとえば、新約聖書で書かれているキリストのたとえ話を例にとってみましょう。何がどのように例えられ、その重要なポイントは何かを考えます。

徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 そこで、イエスは次のたとえを話された。 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 (ルカ15章1節ー7節)

羊は何にたとえられているのでしょうか。キリストはなぜこのたとえを話したのでしょうか。何を聞いている人たちに伝えたかったのでしょうか。悔い改めるとはどんな意味でしょうか。罪人とはどんな人間でしょうか。

この聖句は、自分にとってどんな意味があるだろうか

次に、読んだ聖句が自分にとってどんな意味かを考えます。自分に当てはめて考えるわけです。上記のたとえ話の中に自分自身を見出してみましょう。たとえば、羊を自分自身に当てはめて考えてみるのです。自分自身が悔い改めるとしたら、どんなことをするだろうか。自分は罪人だろうなどと、自問自答してみましょう。

 

次の3つのステップでは、実践的な小さい自分革命を起こします。自分自身を変えることを念頭に読みます。箴言16章1節ー3節を例として読みます。この聖句を例にして、聖書を読む時の自分を変えるプロセスを説明します。

 

心を変える

最初に問いかけは、どこに心が向いているかということです。不信仰から信仰へ変えるのです。神を信頼していないと、自分勝手に考えて物事を進めてしまいがちです。しかし、この聖句が教えるように、神は人間を見ているのです。すべてを支配している方です。だから、私たちは、神に委ねて祈って、物事の計画を立てるのです。神への信頼がなければ、どんなプロジェクトも長続きはしません。

考え方を変える

次に考え方は変えます。この世には大きく分けて2種類の人間がいます。失敗を恐れている人、自己嫌悪や劣等感、自己否定に悩んでいる人です。もう一つの種類の人は、「自分は多くの場合正しい」と思い込んでいる人です。どちらも不健全です。劣等感に悩んでいる人は、「神に委ねてトライすれば自分にも出来る!」と考えるきっかけをこの聖句は作ってくれます。またプライド高き人は、逆に心からへりくだる必要性をこの聖句に見出すことが出来るでしょう。自分は清いと思っている人ほど実は隠れたプライドをもち心は傲慢であるのです。この聖句は、健全なセルフイメージを保たせてくれると思います。

行動を変える

最後のステップは、実践、行動に移すことです。実践をしない事には聖書の言葉も空事にすぎなくなってしまいます。事実、キリストは次のように言っています。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ7章24節ー27節)

人生は毎日が嵐のような感じはしませんか。毎日が訓練の場ではないでしょうか。実践してはじめて精神的に霊的に成長するのです。最後に自分を変える動機について考えてみます。非常に重要なので、最後まで読んでください。

変えようと思う動機

人間の自己イメージは、普通、何をどれ程うまくこなしたかによって決まってきます。自分が幸福かどうかもパーフォーマンスによって決まってくるのです。勉強でもスポーツでも会社の仕事でも、世の中はこの仕組みで動いているように思われます。しかし、聖書の教えの原則は、まさにこの逆のように私には思えます。

神の祝福を受けたいから聖書の教えに従うわけではありません。むしろその逆です。神の愛、知恵を受けたから、神に応え神の教えに従うのです。聖書の言葉を読み実践していくのです。これが健全的な良いサイクルです。

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