教会に行く5つの意味

 

教会に行く意味を分かりやすく説明します。「教会に行くべき」という人もいますが、「教会に行くべき」、「教会に行かなければならない」という考え方自体、あまり健全ではないように思えます。誰かが「教会に行くべき、行かなければならない」と言っているのを聞くと、私には強制的に聞こえます。教会は強制されていくべき所ではありません。むしろ教会とは、クリスチャンもキリストを求めている求道者も自発的に行く場であり、行きたいと思える場ではないかと思うのです。もちろん霊的に成長したいと考えている方がいれば、教会の礼拝に参加したほうが良いのは言うまでもありません。教会の概念も参照お願いします。

では教会に行く意味を共に考えてみましょう。

共同体として主イエス・キリストの名によって神を礼拝します

教会はクリスチャンの共同体ですから、共に神を礼拝します。健全なクリスチャンは日々、個人レベルで神を礼拝しますが、みんなで集まって礼拝することに意味があるのです。共同体は、共に人生を分かち合う場です。周りに主イエス・キリストを信じている、または求めている仲間がいる、、、そしてその方々と共に神をほめたたえ礼拝している、、、これは素晴らしいことです。素晴らしい仲間、友人たちと共に礼拝できるのは、神から頂く大いなる恵みです。それをないがしろにしてはもったないです。

共同体として神の御言葉を学びます

一人でも聖書を学べますが、他のクリスチャンと共に学ぶところに大きい意味があるのです。人生の分かち合いは、神の御言葉を学ぶときにも行われます。聖書に出てくる言葉に対してどのように感じるかは、人それぞれ違います。人生の経験が違うからです。だからこそ、お互いから学べる場が教会での聖書の学びにあると思います。

共同体として祈り賛美を捧げます

聖書は「お互いに祈りなさい、助け合いなさい」と教えています。個人的にお互いに祈ることはできます。しかし、声を聴き顔を見合わせてお互いに祈るからこそ、心がより通じ合えるというものではないでしょうか。さらに、共に賛美の歌声をあげる時にも、他のクリスチャンとの音のハーモニーも楽しみ、霊的なつながりがより強まります。教会って本当にいいところです。

お互いの賜物を分かち合います

それぞれのクリスチャンは、主イエス・キリストによって、霊的な能力、賜物をいただいています。その賜物をお互いに分かち合わないでは、教会の存在意義がなくなってしまいます。主イエス・キリストを求めている求道者の方にも、この大切な賜物を分かち合うことが出来るのです。このような機会も買いが与えてくれている贈り物です。

お互いに励ましあい霊的に成長する

健全なクリスチャンは教会に集まっている人たちと信仰を分かち合い、励ましたいのです。信仰は人それぞれの生き方に現れます。その生き方が証しとなってお互いに励まされるのです。キリストに根を張ったある人の真摯で誠実な生き方を見て、私もそのように生きてみようと思います。その逆も真なりです。キリストを求めている求道者の方も励まされます。教会は、まさに「神の御心を求めて生きていくように」お互いに励ましあう場です。キリストにある共同体が共に励ましあって霊的に成長していく場だと思います。

 

 

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