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進化論ークリスチャンの3つの見解

聖書と進化論

クリスチャンは進化論をどのように捉えているのでしょうか。進化論と創造論が調和すると考えているのでしょうか。相反するものと考えているのでしょうか。様々な意見があります。ここではそれらの違った意見・解釈を説明しつつ、その問題点を取り上げ、何が真実なのかを共に考えてみましょう。

★進化論を認めるクリスチャンの主張

このタイプのクリスチャンは、進化論を全面的に認めます。有神的進化論とも言えるでしょう。神を信じていますが、同時に進化論も信じてます。つまり、進化論は神の計画の一部であったと言うのです。この主張は、当初、進化論と神の創造との妥協点を見つけようと考え出されたのです。すべての生物はアメーバのような単細胞生物から発達し今に至っていると、このタイプのクリスチャンは考えます。ですから聖書の創世記1章の記録は、本当の歴史ではなく比喩的に書かれたものだというのです。

問題点
1.人間がアメーバから発達したという主張は、聖書の証言とまったく正反対です。さらには聖書そのものを否定することにもなります。聖書によれば人間は他の動植物とは区別され「神のかたち」 として創造されました。
2.しかし、このタイプのクリスチャンは 創世記1章が現代科学の知識のない人、古代人のためにこのように比喩的に書かれたと主張しますが、他の聖書の表現をどのように解釈するのでしょうか。たとえば、聖書には神は「 、、、、」 と言われた、とよく出てきます。これは聖書の著者が「神は言わなかったこと」 を知っていたが、モラルを教えるために神は言った、と書いたのでしょうか。または、聖書の著者の作り話でしょうか。このようなクリスチャンは聖書自体を否定することになります。
3.進化論は現在、公立学校で事実かのように教えられていますが、それが事実かどうかはわからないのです。進化論を証明するための確固たる証拠もありません。進化論は人間の推論であることを改めて認識すべきでしょう。

★進化論を否定するクリスチャンの主張

このタイプのクリスチャンは聖書の絶対的な権威と無謬性(聖書のことばには間違いはないという意味)という観点から進化論を否定します。進化論は人間の推論にすぎません。聖書で書かれている創造の歴史と矛盾するものは間違いなのです。もっと正確に言いますと、このタイプのクリスチャンは聖書の枠組みの中に科学を入れるわけです。(その逆に聖書の中に間違いを探す人は、自然科学の理解の枠組みの中に聖書を入れます。)進化論者たちは進化論は科学的な立証された事実であると主張するのに対抗して、このタイプのクリスチャンは、聖書は科学的な文書であり、神の創造を科学的に証明しようとします。これは創造科学と呼ばれてます。これらのクリスチャンの主張には様々なものがありますので、そのいくつかを例としてあげてみましょう。その中には、極端なものもあるので、これらのクリスチャンすべてが一応に同じように考えているとは限りません。たとえば、このタイプのクリスチャンはノアの箱舟の遺跡が発見されたと発表し、これが聖書の創造の歴史を証明していると主張します。また、あるクリスチャンは(代表的な著者はHenry Morris)ノアの時代の洪水が地球的な規模で起きた事を科学的に証明しようとします。一般的に、このタイプのクリスチャンは、地球の年齢は6000年ぐらいだと信じています。

問題点
それは聖書が書かれた時代の世界観や文化的背景や歴史的な背景を忘れ、聖書が科学的文献だと主張していることです。私の考えは、聖書と進化論の関係、現代科学の世界観と聖書的世界観の関係の中でも、書きましたが繰り返しその結論を次に掲載します。
1. 聖書は、天地万物を創造された神の聖霊によって導かれた人々によって書かれた書物です。神はこの天地万物を支配し、人間の科学を越えた方です。
2. しかしながら、聖書は現代科学の観点から書かれていません。そのために、人間的な目からすると矛盾に写ることもあるかもしれません。でもそれは科学も神の支配下にあるわけですから、本来、矛盾ではありません。
3. もし聖書と進化論の間に矛盾があるとすれば、私たちの聖書の解釈が間違いであるか、自然科学の解釈が間違いであるかのどちらかです。
4. 聖書と進化論は対立するものではありません。私の友人は今、米国のハーバード大学(Harvard University)で生物学を学んでいます。彼は心から生ける神を信じています。その他、多くの科学者がクリスチャンである事は知られています。
5. しかし、ある個人の聖書理解と科学の間に矛盾があるからと言って、人間の知恵によって調和させようとする事はやってはならない事です。ある人は、聖書がすべてだと断定し、科学的なデータの中から聖書に合わないものはすべて間違いだと主張します。またその逆に、科学的な論説(進化論など)を聖書に読み込んでいく人たちもいます。
6. 人は神によって考える頭脳と探究心を与えられました。その探究心によって人は自然科学を発達させたのです。現代に生きる私たちは、この科学の恩恵を毎日の生活で受けています。さらに人は地球と人間の起源について興味を持ち探求したのです。太陽系がどのように生まれたのか、地球はどのようにうまれたのか、人間はどのように今のように発達した頭脳を持つようになったのか、などの疑問を持ち探求しました。しかし、これらの疑問に答えてもそれは推測にすぎません。はっきりと断定できる科学者はいないでしょう。

★第三の主張

カール・サガン(Carl Sagan)アメリカの天文学者は、数十年前にアメリカのテレビ番組で「進化は起こった、進化論は事実である」と最初に公に言った人かもしれません。多分、それ以来、アメリカでも進化論は事実であるかのように教えられています。日本でも状況は変わりません。

第3の主張は私の主張でもあります。次に結論を箇条書きしてみます。

1.人間を含むすべての生物が原核生物から発達してきたという進化論は人間の推測にすぎません。しかし、環境に対応して生物が順応してきた事は事実だと思います。その意味での進化はあったと思います。

2.人間は神によって他の生物から区別されて創造されました。進化論が推論に対して、良くも悪くも人間が特別であるという事は歴史が証明しています。

3.地球の年齢はわかりません。聖書は明確にそれを啓示していません。ですから私たちが知る必要がないことだと思います。聖書は次のように言っています。「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。」(申命記29:29) 聖書は科学的見地から地球や宇宙の起源について語っていません。それは神の領域の事です。それを敢えて証明しようとする事自体、人間には不可能な事です。繰り返しますが、私はここで科学の重要性を否定していません。むしろ、科学は神の創造のわざをもっと明らかにしてくれます。しかし、科学の力で計り知れない領域、つまりそれは神の領域であると主張しているのです。

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