信じる事の難しさと易しさ

信じる事の難しさと易しさ

なぜ私たちにとって信じる事は難しいのでしょうか。宗教に限らず、私たちにとって信じる事は難しいのです。それには様々な理由があるでしょう。そのいくつかを考えてみましょう。信じるという事は、だまされるかもしれないというリスクを負っています。 この世の中は、人を信用するにはあまりに世知辛い世の中になってきています。多くの人たちがだまされて、何か高額のものを買わされたり、 不良品を買わされたりしています。また政財界では常に不正が行なわれ、誰一人として真実を語らないのが常です。 またはプロスポーツでは、多くの人が薬物を使い、それが発覚しても否定し続けています。

さらに宗教の世界では、多くの新興宗教が、多くの人から 高額の御布施をだましとった犯罪のために検挙されています。カルト的な宗教では、信者たちが殺人という犯罪まで犯してしまったのです。 伝統的な仏教の世界でも問題はあります。戒名料がなぜあんなに高いのか、とテレビや新聞紙上をにぎわしています。 このような世の中で、信じるということは、あまりに多くのリスクを負っているわけです。

私たち人間は罪ゆえに疑い深くなっています。神を信頼することを非常に難しくしているのです。自分の力や知恵に頼ろうとします。神の力と愛を疑い、自分の力で問題解決しようとします。

信じるということは、人に委ねるということです。 人に委ねる時、私たちの立場は非常に不安定なものですし、また事実、不安を覚えます。

本来、人間は、赤ちゃんが親を信じるように父なる神を信じるように創造されました。素直な心で親を信じるように、神を信じる事が出来るはずなのです。ところが人間は、自己中心、自分本位の罪をもっています。その罪ゆえに、心が頑なになった私たち人間は、神を信じるのが難しくなっています。自分の親さえも信じられなくなってしまうケースは少なくありません。

三位一体の神であるイエス・キリストは、父なる神の御心を伝えに天から降りてきました。我々人間に、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(ヨハネ14章1節)と戒めています。でも私たちがキリストのことばに耳を傾ける時、徐々に私たちの心は聞く耳をもつようになります。

まず聖書を読み始めましょう。聖書の言葉が種が植えられ信仰が育つのを待ちます。静かに聖書を読み瞑想して、静かに待ちましょう。これが信仰生活を始める第一歩です。わたしたちを創造してくださった神について考えてみましょう。神は私たちを信仰の道へと導いてくださいます。信仰は、神と私たち人間を結ぶ懸け橋です。

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