聖書-キリストは人生を変える 

イエス・キリストを心で受け入れて・・・人生が変えられます

姉妹サイト 聖書の言葉を日本社会に

カトリックとプロテスタントの違い

カトリックとプロテスタントの違い

キリスト教の歴史を振りかえりながら、カトリックとプロテスタントの違いを簡略に理解してみましょう。キリスト教の歴史を振り返ってみますと、イエス・キリストの祈りに反して、「分派分裂の歴史」であることがわかります。キリスト教には数限りない宗派がありますが、一般的にキリスト教を大きく分けるとカトリックとプロテスタントになります。この2つの歴史を理解することによって、キリスト教の歴史がある程度、理解できると思います。ではそれぞれの起源を、歴史の事実に基づいて掘り下げてみましょう。

 

 カトリック

カトリックの教会がいつ始まったか、確かな年代は不明です。(但し、カトリック教会は、その起源はイエス・キリストにあり初代の法皇がペテロであったと主張しています。)ただ、2世紀中期以降、徐々にカトリック教会の伝統が作り上げられたようです。ローマ帝国では首都ローマが政治的、経済的な面はもちろん、あらゆる面において地方都市の模範になっていました。首都ローマの権力ゆえに、ローマ教会の内外への権限と影響力がおのずと大きなものになっていきました。その当事、影響力のある教会はローマ教会の他に少なくとも2つありました。エルサレム教会とアンテオケ教会です。その様な中で教会間の権力闘争が始まりました。(不思議なことに宗教界ではよく似たような話しがありますね。)3世紀の初期ごろからローマ教会は、ローマ教会が使徒パウロとペテロによって建てられたという事を基に、教会のリーダーであるべきだと主張し始めました。

その後、2つの重要な出来事が起きます。その一つはローマ皇帝コンスタンチンが312年にクリスチャンになった事です。この事によりキリスト教がローマ帝国の国教になり、より権威主義的要素が強くなったのです。つまり宗教に政治的要素が入り込んできたのです。そして教会間での権力争いも激しさを増し、ローマ教会はその権威を一層強く主張しました。ローマ教会は、帝国の皇帝が教会員であるいう事もあり、権力を増していきました。最終的に、ローマ教会の権威に他の教会も屈服するようになりました。

第二の事件は、コンスタンチンがローマ帝国の首都をコンスタンチノープル(今のイスタンブール)に移した事です。最初、この動きはローマ教会に不利に働くように思えました。しかし、事実はその逆だったのです。ローマ教会はローマから皇帝がいなくなったために、事実上のローマの支配者になってしまいました。そして、ローマ教会は、コンスタンチン皇帝から皇帝が住んでいた城を譲り受けた、という文書を作成し、民衆に示す事によって、その権威を内外に示したのです。ところが、15世紀にその文書は偽造された物であった事が発見されました。このような文書は初めから存在しなかったのです。これはカトリックの方たちも認めるまぎれもない事実です。ローマ・カトリック教会の特徴は、ローマ教皇の権威、または教会の権威を掲げたことでしょう。その当時のローマカトリック教会によれば、教会が神の恵みを与えるパイプであったのです。聖書は一般の信者の人々には与えられませんでした。祭司は教会に来た一般の信者に聖書を読んで聞かせましたが、それは伝統的にラテン語で読まれたために、一般の人々には理解されませんでした。

権威という観点からカトリック教会の特徴をもう一度まとめてみます。第一の権威は、創造主なる神にあります。次の権威は教会にあります。聖書、神の言葉は教会の下にきます。なぜでしょうか。それは教会が聖書の正典を定義付けしたからです。(正典(せいてん、Canon, カノン)とは、ある宗教において公式に信者が従うべき基準として確立されている文書をいう。正典で無いものは外典と呼ばれる。https://ja.wikipedia.org/wiki/正典)2-3世紀には、現在私たちが正典としている他に、多くの書物が諸教会で神の言葉として読まれていました。しかし、コンスタンチンがクリスチャンになってキリスト教がローマ帝国の国教として認められると、どの書をスタンダートとして正典に入れるかを決める必要に迫られました。その作業をローマ・カトリック教会が行ったのです。ですから、聖書は教会の下に位置するのです。第三に影の権威として聖書があります。しかし、神と信者を結びつけるのは教会なのです。聖書はその手段に過ぎません。しかも聖書はラテン語で読まれていたので一般信者は理解できませんでした。現在のカトリック教会では聖書がラテン語で読まれているかどうかは私は知りませんが、しかし中世のカトリック教会においては聖書をラテン語で読むことは、カトリック教会のサクラメント、儀式の中で非常に重要な要素だったと思われます。

プロテスタント

さてプロテスタントはどのように生まれたのかと言いますと、ヨーロッパのルネッサンスの一部、宗教改革によってもたらされました。プロテスタントの元々の意味は、英語で「抗議」という意味です。カトリック教会に抗議するという意味で後に付けられた名称です。初期の宗教改革のリーダーの中には多くの聖書学者がいます。その中にはルター、カルヴィンなど一般の方でも聞いたことがある名前があります。 宗教改革には共通した3つの主張があります。

第一に、各々が聖書を読む機会が与えられるべきである、と主張しました。(この考え方は万人祭司といわれます。)これはルネッサンスにおける産業革命で印刷の技術が発達した事にも関連してきます。カトリック教会では、一般の信者は聖書を所有できませんでした。ところが、この時代に聖書は英語に翻訳され、出版技術によって一般の信者の人たちに聖書が届くようになりました。このような環境の中で、各々が聖書を読むべきだと言う考えが浮かび上がりました。

第二に、信仰と神の恵みによる救いを宗教改革者たちは訴えました。カトリックの信仰では、信者は赦しを得るために、ローマ教会への巡礼、祭司への罪の告白などの様々な事を行ないました。恵みによる救いという概念は、残念ながら中世のキリスト教にはありませんでした。それを宗教改革者たちは正そうとしたのです。

第三に、教会の権威を認めながらも、聖書の権威を強調しました。聖書は信仰生活のすべての基準であり規範であると強調したのです。中世のカトリック教会では教会の権威のもとに、聖書とは他にいろいろな決まり事を作りました。これらの決まり事に、ある一部の宗教改革者達は反発を覚え、聖書の権威の重要さを強調したのです。

では権威という観点から、プロテスタント教会の特徴をまとめてみましょう。第一の権威はもちろん創造主なる神にあります。次に神の言葉である聖書に権威を置くのです。第三にクリスチャンの集まりであり共同体である教会に置くのです。

結論

二つのグループを説明しましたが、今一ピンとこないと感じ方もいらっしゃるかもしれませんね。一番の違いは、権威をどこに置くかという点にあります。基本的に権威の順番が違います。

カトリックの権威は次のような順番になります。神>>教会>>聖書>>信者
プロテスタントの権威の順番は次のようになります。神>>聖書>>教会(信者の集まり)
カトリック教会は教会が恵みの取次ぎ者として考えています。聖書の正典を決めた教会の権威は、聖書の権威よりも上にたつと考えます。ところがプロテスタントは、聖書、神の御言葉に権威があると主張します。その権威に基づいて教会形成をするのです。その反対にカトリックは、教会(ローマ教皇)の権威によって教会形成をするともいえます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

Copyright © 2018 聖書-キリストは人生を変える