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悔い改めの意味

悔い改め

クリスチャンになるにはまず人生の方向転換が必要です。それを聖書は悔い改めと言っています。「悔いる」は後悔という2字熟語で使われますが、聖書が教える「悔い改め」は過去を後悔するとは違います。「悔い改める」とは過去の歩みを振り返り悪から善へ方向転換をして、自分の道から神であるイエス・キリストの道に180度方向転換することです。

悔い改めをするためには、まず自分が神の前では罪深い人間であることを認める事です。その罪から離れて心をいれかえるのです。罪の概念をまだ理解してないと思われる方は「人間の罪」をクリックしてください。

悔い改め (心、態度を変える)

もし信仰があれば、人の生き方は、神を信じない生き方から神を信じる生き方に変ります。悔い改めとは生き方の方向を変えることを意味します。では、悔い改めの意味を私たちの人生に当てはめて考えてみましょう。

あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。(2コリント7:8-10)

人は悔い改める時、自分が犯した罪について心から悲しむのです。ここ数年、銀行の不祥事、警察の不祥事で、芸能人の不祥事など、新聞の三面記事をにぎわす話題にこと欠きません。それらの不祥事の責任をとるためにその責任者が辞任しました。 これらの人々は記者会見で頭を下げて涙さえ浮かべていました。 社会に対する責任をとるために悔い改めの姿勢を示しています。

本来、人はすべての罪について神に悔い改めの姿勢を示すべきです。 世の悲しみはその場限りの悲しみに過ぎないのかもしれません。その責任をとり辞任して、涙さえ浮かべめても根本的に心が変わっていなければ、その場しのぎの後悔の涙に過ぎないかもしれません。神に対する悔い改めは、考え方そのものを変えるのです。神の教えによって心が新しくされ、生き方も変えられるのです。

ここで要点をまとめてみます。私たちが悔い改める時、神に2つの告白をします。一つは、信仰告白です。神を信じてイエス・キリストを信じると告白します。つまり、不信仰から信仰への方向転換です。そして自分自身の罪の告白です。創造主なる神から離れて自分勝手な考えによって生きてきたこと(これが一番根本的な罪です)を認め、その結果として様々な形で罪を犯し続けてきたことを認める事です。これが罪の告白です。私たち人間がこの2つの告白をする時、天では喜びで満ち溢れると聖書は教えています。

そこで、イエスは次のたとえを話された。あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカ15章1節ー7節)

どんな極悪人だろうと、人を何人も殺してしまった殺人鬼であろうと、その人が心から悔い改める時には、確かに私たちの神は喜びその人を受け入れるのです。この世の法律を犯した人、また道徳的モラルを反したことをやった人、それぞれ社会的な制裁を受けると思います。しかし、天にいらっしゃる神の目にはその人の罪は許されるのです。これが神の愛であり神の慈悲だと私は思います。

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