十字架とバプテスマの関係

十字架とバプテスマの関係

イエス・キリストは十字架につけられ死にました。 これはバプテスマと深い関係があります。バプテスマによって、象徴的に人は罪に対してキリストと共に死んだのです。さらにバプテスマによって象徴的に、人は死からよみがえったのです。バプテスマは、人間がつくった儀式ではありません。そこに神が働いていらっしゃるのです。

最初にマルコ8章31節ー34節を読んでみましょう。

それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。8:33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

イエスは、自分自身が十字架につけられ殺されるという驚くべき預言をします。 弟子たちがこれを聞いた時、「イエス・キリストが神の子のであるのなら、そんなことはあってはならないことだ」と思ったのです。 ペテロという弟子は、考えるよりも先に言葉が出てしまうような口達者な人でしたから、「ここぞ」とばかり、主イエス・キリストをいさめます。 これに対してイエスはペテロを「神のみこころを知らずに悪魔の考えを持っている」と戒めるのです。

しかしイエスは、さらに衝撃的なことばを弟子たちに言い放ちます。それは、もし人がイエスの弟子になりたければ、自身も十字架を負わなければならない、ということばでした。 あなたと私が十字架を負うという意味は何でしょうか。ある人は、十字架のネックレスを身に付けることが十字架を負うことであると思っているかもしれません。 しかし十字架は心に身につけるものです。物質的な十字架をつけても、心に十字架がなければ何の意味もありません。

十字架を負うということは、自分または自我を捨てることから始まるのです。 自分中心的な考え方や自分の人生哲学を捨てて神の教えに従うのです。バプテスマを通して、キリストを信じた人はキリストとともに自分自身に対して死に、神の力によって復活させら得るのです。バプテスマは、神が定めた「キリストと信者の結婚式」とでも言えるでしょう。

ではイエスの名によってバプテスマを受けるとはどういう意味でしょうか。 次の聖句はこの意味を説明しています。ローマ6章3節ー8節を読みます。

それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるためにバプテスマを受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。・・・ 死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

人はイエス・キリストの教えに従い弟子になることを決める時、バプテスマを受けます。 これは神によって定められたイエス・キリストへの信仰告白を神に示す手段です。バプテスマによって人はイエスと共に死ぬ時、自分自身の罪に対して死ぬのです。 そして、神の力によってイエスと共によみがえるのです。そして、キリストを身に着たものとしてクリスチャンになるのです。 バプテスマにおける全身全霊が水の中につけられ引き上げられる様は、死、つまり埋葬とよみがえりを象徴的に表しています。 これを単なる儀式だと思ってはいけません。神はバプテスマを受ける人の信仰告白をみて、人間の本来の姿に戻った従順な子供の誕生を喜ぶのです。

しかし、バプテスマを単なる儀式に過ぎないとして、クリスチャンになるためには必要がないと理解する人もいます。バプテスマはすでに信仰によって救われた者が行なうものであると主張する人たちがいますが、私は、バプテスマはイエス・キリストへの信仰を父なる神へ告白する時だと考えています。 人が神を神として礼拝し「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神である主を愛す」ことを神に告白する時だと思います。 バプテスマにおけるこの信仰告白に基づいて、神はイエスと共に罪に対して死んだ人をイエスと共によみがえらせるのです。

罪の赦しと聖霊

さらに、バプテスマを受けた後、人は2つの恵みを神によって与えられます。 第一に、人の罪は赦され、罪の重荷から解放されます。信じる者に神は次の約束を与えました。「神は、イエス・キリストの血によって信者の罪をもはや覚えない、罪は赦された」と約束されました。罪の呪縛、罪の重荷からの解放を約束されたのです。十字架につけられた罪と欲望の思いはクリスチャンの心からなくなり、その代わりに聖霊によって満たされるようになります。第二に、神はその人が人生を正しく生きるように助けるために、神の子供としての認証として神の霊(聖霊)を与えます。 その結果として、神はバプテスマを受ける者を教会、イエスのからだの一員とします。

からだとは教会を指しています。 イエスにあってクリスチャンは1つであるべきです。バプテスマはそのような目的で神が定めたことです。 イエスの名によってバプテスマを受ける時、イエス・キリストの教会、つまりイエスのからだの一部になる事を誓う時でもあるのです。

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