キリストの教え

謙虚に祈る

イエス・キリストの教えを説明します。

キリストの宣教メッセージは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした。(マルコ1章14節ー15節)

神の御国がどんなものか、主イエス・キリストのたとえ話を読んでみましょう。

13:44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。13:46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ13章44節ー46節)

神の御国は、人にとって何よりも大切なものです。衣食住よりも大切、財産、どんなものよりも大事なものが強調されています。同時に、天の御国では、神様の支配と裁きがあることも強調されています。この世の中と解釈できるかもしれませんが、教会(クリスチャンの共同体)とも解釈できます。私たちが天の御国に入る意義は、主なる神に委ねる、信頼する、従順に従ってこそ生かされます。さもなければ、主の裁きが待っているのです。では神の御国において、どのように生きていいのか、キリストから聞いてみましょう。


心からへりくだること

「自分には何も誇ることはない」と認めなさいと教えています。むしろ自分が罪で汚れている者として心砕かれる人は、神によって祝福を受けるとも明言しています。日本的な遠慮や謙虚とは違います。謙虚になる以上に心が砕かれ、自分の罪を嘆き悲しみ、神に委ねる信仰の第一歩とも言えるでしょう。

 

疑わず心底神を信じること

心が騒ぐところには疑いがあります。思い煩いがあります。自分で何とかしなくては・・・という思いが強くなります。考え方、態度、行動も自己中心的になりがちです。むしろ、創造主なる神を心から信じ委ねなさいと教えています。神は貴方を愛しているのだから、貴方が必要なものは全て与えられるとも言っています。

 

罪は心で犯される

罪は単なる悪い行いではないと教えています。罪の始まりは心にあります。心で悪事を思い考えめぐらすだけで、すでに罪を犯しているとも教えています。たとえば、他人を馬鹿にするだけで殺人にも等しい罪を犯してしまっているのです。また女性をエロな目で見るだけでその人は心で罪を犯しているとも教えています。その逆もありえますが、、、。

 

見せかけの善い行いではダメ

見かけだけ繕ってるだけで、心の中は真っ黒だらけの偽善を揶揄しています。善い行いを人に見せるためにやっている多くの日本人には耳の痛い教えです。褒められたくて、名声、名誉のために善行を行うのではなく、むしろ誰も見ていないところで、隠れている所で善い行いをしなさいと。隠れている神があなたを祝福していると明言しています。

 

神の無償の愛

神は人間の罪を憎み悲しんでおられます。人間が罪から悔い改めるのを切に望んでいます。しかし、神は人間を何の見返りも期待せずに愛しておられます。悪人にも善人にも太陽を昇らせ恵みの雨を降らせるのです。神は一方的な愛によって、一人子である方を私たち人間の罪の贖いのために十字架につけたのです。これが神の永遠の無償の愛です。

 

神に倣う者になりなさい

神は聖なる方です。悪、罪を憎み悲しでおられます。人間の苦しみをみて神も苦しんでおられます。そのような慈悲深い方、聖なる方に習いなさいと教えています。神が完全であられるように、聖なる方であられるように、私たちも聖なる者になりなさいと戒めています。聖書は、イエス・キリストの生き方、態度、考え方、すべてから学び、キリストにみる従順、純真、誠実、愛をまねるべきだと押しています。

 

神の御言葉を実践しなさい

キリストの言葉を聴いているだけでは信仰は育ちません。聖書を読んでるだけでもダメですね。結論として次の例えを聞いていただければご理解できると思います。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ7・24-27)

 

神に仕え人々に仕える人になりなさい

「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。20:26 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、20:27 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(マタイ20章25節ー28節)

いつの世でもどんな時代でも、人間は人の上に立ちたがり権力・権威を持ちたいと思います。これを私たち人間は向上心と呼びます。しかし、キリストが教える神の御心は、その逆です。神の子である方は、その権威を見せて人を振り回すようなことはしませんでした。むしろ私たち人間のために、生き方のお手本を示してくださいました。私たちもキリストの心、態度を見習うべきだと聖書は教えています。

 

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