人間の存在意義

神によって創造された人間

人間の存在意義を考える前に、創世記1章26節ー30節を読んでみましょう。

1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

私たち人間は、他の動植物とは区別され、神に似せられて創造されました。人間は、動物を家畜として飼育したり、植物を栽培したり出来ます。動物であればペットとして飼うこともできるし、従わせることも出来るのです。これらの人間の能力は、実は創造主なる神から与えられているのです。

人間の存在意義

神に似せられた者として、神の栄光を現す者として、人間は考える力、何かを造りだす能力が与えられています。同時に、人間は神の操り人形ではありません。人間の尊厳である自由意志が与えられています。不幸にも人間は、その自由意志を悪用します。自分の欲望のために、自己中心的に(素晴らしい)能力を自分本位に使ってしまうのです。ここに人間の歴史の不幸があるのではないでしょうか。この世にユートピアは存在しません。私たち人間が本当に自分たちの罪と向き合わない限り、世の中の問題(戦争であれ日常的な強盗や殺人事件であれ何であれ)は決して解決できないと私は思います。

もし私たち一人ひとりが、神の御心どおりに生きようとしたら、どんなに素晴らしい世の中になるでしょう。しかし、神は人間に無理強いはしません。私たちが我にかえり「自分が何のために生きているのか、この地において何のために存在しているのか」を気づくのを待っています。

私たち人間が、神の大いなる愛に気づかされ、新しい人生を始める時が今だと思います。神は私たちの心にいつもささやいています。「わたしの下に帰ってきなさい」と。私たちの存在意義は、神にあるからです。私たちが生きている理由も生きる目的も、創造主なる神にあるから、私たち人間は神に立ち返る必要があると、私は心から信じています。

なぜ人間はこの地で生きているのでしょうか。生きる意味は何でしょうか。私たちの人生に目的はあるのでしょうか。ネガティブな面から人間の一生を観察すると、苦しいことのほうが多いように思えます。誰でも何らかの形で病気になります。1度や2度くらい事故は経験するかもしれません。または災害にあうかもしれません。お金をたくさん貯めようがお酒を浴びるほど飲んでも、また異性とお付き合いしても、ある時生きることに虚しさを感じるのはなぜでしょうか。殺人事件があちこちで起きて、オレオレ詐欺で騙されたり、投資会社に騙されたり、この狂っている世の中で生きているのが嫌になってしまうのはなぜでしょうか。

楽しいこともたくさんありますが、人生の苦労の方が数倍多いように思われます。進化論の観点から言えば、人生には何の目的もないかもしれません。本能のままに他の動植物と同じように生きて死ぬだけですから。しかし、人間が神の形として創造された事が事実だとすれば、人生には違った意味があるはずです。人間はその意味に気づいていないだけです。

人間は他の動植物とは区別されて創造されました。人間の人生の目的に肌の色や人種など関係はありません。すべての人間は、それぞれの立場においてまた環境下で、神の栄光を現すために生かされているのです。貧しい人も裕福な人もすべて神の栄光が与えられているのです。人間は大自然の一部として創造されましたが、その存在は他の動植物と一線を画しているのです。私たち人間は、神が創造された自然の中で調和して生きるように、また自然を管理して支配するように生かされているのです。神の被造物である私たちは、神を恐れ敬い神の教えに従う事、これが人間の本分だと私は思います。

最後に次の聖句を読んでみましょう。

12:13 すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。12:14 神は、善をも悪をも/一切の業を、隠れたこともすべて/裁きの座に引き出されるであろう。(伝道者の書12章13節ー14節)

神によって創造された人間の本分は、この聖句に集約されています。いずれ私たちは、面と向かってこの唯一の神と出会うことになるのです。

 

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