健全な自己イメージ

健全な自己イメージ

人間が考えることは複雑怪奇です。少し動物と似ているところもあります。たとえば、ある人は、本当の自分よりも強がったり能力があるように見せたがります。(確かにこのような動物、昆虫はたくさんいます。弱肉強食の世界では、自己防衛のために必要な手段なのでしょう。)人間の世界でも似たようなところがありますが、人間は理性を持って創造されています。このような人は、嫌われることはあっても好かれることは少ないでしょう。このような人は自己顕示欲が強い人かもしれません。

その逆に、自分はダメダメと思い込み、自分の殻に閉じこもる人もいます。自己嫌悪、劣等感が強い人です。でも多くの人たちはこの劣等感を封印してしまいます。嫌なことは考えないようにしているのかもしれません。

自己顕示欲が強くても精神的に不健康、かといって自己嫌悪、劣等感が強くても不健康です。ではどうすればいいのでしょうか。どちらの感情も精神的に不健康といえます。しかし、私たちはただの人間に過ぎません。私たちのほとんどは、生まれてから少なくとも一度はどちらかの感情や気持ちを実体験してきているはずです。聖書は次のように言っています。

6:2 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。6:3 実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。6:4 各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。6:5 めいめいが、自分の重荷を担うべきです。6:6 御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。6:7 思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。6:9 たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。(ガラテヤ6章2節ー9節)

人はそれぞれ、自分自身を吟味して自分に出来ることをやっていくように求められています。このプロセスにおいて、自分自身の責任を果たすことになるのです。しかし、自分を「偉そう、賢そう」にして自分自身を欺く必要はありません。

人は、他人が自分より劣っていれば優越感にひたり「いい気分になってしまう」ものです。その逆に、自分が他人よりも劣っていれば劣等感に悩まされるでしょう。でも本来、人は他人と比べなくても自尊心はもてるのです。神によってユニークな存在として創造され、神によって愛され必要な能力が与えられているからです。創造主なる神に感謝して神を愛して礼拝しつつ、その能力を使うことが健全な人間になるための第一歩だと私は思います。

健全な人とはどんな人でしょうか。メタボは不健康の象徴です。それが誘発して様々な病が発生してしまいます。しかし、もっと大切な健康指標が私はあると思います。それは心の健康です。自分よりも下の人と比べて優越感を持つ必要もありません。自己顕示欲を満たす必要もないのです。むしろ、謙虚に自分を吟味出来る人です。神によって愛されていることを感謝できる人です。その感謝の気持ちゆえに、自分が出来ることをきちんとやると同時に、他の人とお互いに重荷を分かち合うこともできるような人です。

自分という立ち位置をしっかり理解して、また他の人を敬うことが出来る人です。このような人になれるように切磋琢磨してこそ、お互いに成長できると私は思います。

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