信じる自由、信じない自由

キリストの言葉の中で、心惹かれたものの一つに「聞く耳のある者は聞きなさい」というものがあります。キリストを信じるも信じないも、人それぞれです。自由があります。キリストは誰をも束縛するような方ではありません。さらにキリストの言葉一つ一つに神の愛を私は感じます。励ましを感じます。たとえ私が信じない道を選んだとしても、キリストは私を励まし待っていて下さるーキリストはそのようなお方です。しかし、キリスト教の実態を見ると必ずしもそうではないようです。一度、教会に行ったら勧誘を何回もされた経験をお持ちの方がいるかもしれません。こちらが断っても何回も訪問して嫌な思いをしたという人もいるでしょう。伝道、宣教に熱心なのは良いと思いますが、人の意思を尊重することも大事かと思います。

ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」 (ヨハネ6章60節ー69節)

キリストの教えを聞いた人たちの中には、信じた人もいれば信じない人もいたのです。キリストは信じない人たちを追いかけまわしたでしょうか。しつこく勧誘したでしょうか。あるいは「信じなければ・・・」と脅すような言葉を言ったでしょうか。むしろ人々に選ぶ権利を自由を与えたのです。キリストはいつも私たちが信じるのを待っています。「聞き耳のある者は聞きなさい」と今でも私たちに語りかけて下さっています。

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