聖書-キリストは人生を変える 

イエス・キリストを心で受け入れて・・・人生が変えられます

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管理人の霊的成長

管理人の最初の信仰は心から信じるものではありませんでした。実践が伴わない理屈ばかりの信仰でした。しかし、神は管理人の頑な心を砕いでくださいました。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ7章24節ー27節)

聖書は読んでその内容を理解しても実践しないから、何をやってもうまくいきません。キリストが言っている通りです。聖書をいくら読んでも心が喜びで満たされることはないのです。安らぎと平安で満たされることはないのです。そんな日々、年月がどれほど続いたでしょうか。このような霊的な葛藤の中で管理人はますます苦しむようになっていきました。上記の聖句を読んでも、管理人の心には響かず右の耳から左の耳へと抜けて行ってしまったのです。キリストは「聞く耳のある者は聞きなさい」と言いますが、管理人は聞く耳を持っていなかったです。いつもモヤモヤした空虚感がありました。こんな状態では霊的な成長などありません。むしろ悪魔であるサタンに騙され続けていたのです。そんな暗闇の中で管理人は日々祈りました。「主よ、教えてください」と。上記の聖句が示すシンプルな真理にやっと気づいたのです。管理人は愚か者でした。その愚かさにやっと気づいたのです。上記の聖句で示されているシンプルな真理に目が開かれたのです。

携帯電話は本当に便利なものです。管理人も日々の生活や仕事で使っています。携帯のマニュアルと仕様を隅から隅まで読みその使い方すべてを理解したとしても、実際に使ってみなければ携帯の良さを知ることはできません。使って初めてその便利さを体験できるのです。キリストの教えにも同じことが言えます。

最初、管理人の信仰は頭でっかちの信仰でした。このような信仰は、本当の信仰ではありません。管理人は聖書を教えることは出来ても偽教師に過ぎなかったのです。実践が伴っていなかったからです。上記の真理を知ったからと言って、霊的な成長がここで止まることはありません。管理人は死を迎えるまで神の御国と義を求めて生きていくます。それがクリスチャンがやるべきことだと信じています。使徒パウロはピリピの手紙の中で次のように書いています。

わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。 (ピリピ3章10節ー16節)

クリスチャンの成長に終わりはありません。定年退職、隠居することはないのです。自分の罪を知り神の恵みに感謝して神の御心を求めて生きていくことが求められていると思います。

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