聖書-キリストは人生を変える 

イエス・キリストを心で受け入れて・・・人生が変えられます

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管理人の最初の信仰

私は頑固者で「見なければ信じない」といい続けてイエス・キリストを否定しつづけたのです。頑固者の私がなぜ信じるようになったかを説明してみましょう。
今、私は神もイエスも見ることは出来ません。 実際に会ったこともありません。イエスがどれくらいの背格好だったかも知りません。しかし、私は天地万物を創造された唯一の神がイエスを遣わされた、というイエスのことばを信じます。「私が道であり、真理であり、いのちなのです」というイエスのことばを信じます。なぜ私は信じるのでしょうか。私自身の個人的な好みによって信じるようになったのではありません。 またある特殊な性格を持っていたから信じるようになったのではありません。人それぞれ信じるようになる段階がありますが、私の場合、次のいくつかのステップを踏んで信じたのです。
多くの日本人にとって「天地万物を創造された神」という概念は、非常に受け入れがたいものです。私も例外ではありませんでした。多くの疑問がありました。どんな方法で創造したのか。もし神がいるのなら、今どこにいるのか。そんな葛藤の中で、まずイエスのことばを読みました。読んでいるうちに、 「少なくともこの方は嘘をつこうとして話しているのでない」と思いました。
そのうちに、イエスの人格を見る限り「この人は嘘はついていない。真実を言っている」と結論になりました。でも、ここで直ぐに聖書が示す信仰を持ったかというと、そうではありません。イエスが言っていることは、理論的に考えても道義的に考えても、道理は通っているという結論でした。 しかし、イエスが言っている神の存在をたやすく受け入れることは出来ませんでした。それで、イエスが言っている内容と現実の社会、自然界、宇宙の営み、人間の行いなどなど比べてみたのです。人間は本来、現実を見て「社会はこんなものだ」とか「自然の法則はこうである」とか判断するわけですが、 いつも人間の理解にはどこか欠けているところがあります。その欠けているところをイエスは満たしてくれたのです。だから、真理を語っていると確信を持てたのです。しかし、それでも私の信仰は理論的に筋が通っているというだけの頭でっかちの信仰でした。心からの信仰ではなかったのです。人間が成長するように、神への信仰も成長するものです。その成長に従って神をますます知るようになるのです。

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